HSPとしての生き方

HSPの性質に日々苦労しながらも、頑張って生きていこうと思います。

HSPについて

HSPとはHighly Sensitive Personの略だが、その最も特徴的なことは感覚の鋭敏さである。つまり、ある物事に対する反応が通常は1しかないところをHSPは5〜10の反応を見せるということだ。

この特性が最も有益であると思われるのは、芸術である。景色でも絵画でも音楽でも人より深く、多くのことを感じ取る。大多数の人が見落としてしまうような小さなことでも見逃さない。その体験が他に類を見ない個性的な芸術へと投影される。人と違うことが評価される芸術家にはとても適した性質だ。

一方で、感動の度合いが大きいことはその人に沢山の負担をかけうる。殊に「人と同じこと」「周囲に同化すること」を求める日本社会で生きていくには苦労を強いられるであろう。彼らは人と違うことを肯定されて初めてその力を発揮できるのであり、これを殺されることは非常なる精神的苦痛となる。社会で生きるため、この苦痛を我慢し続けると、徐々に心身の不調が出てくる。結果、積年の負担が引き金となり鬱など心身症を発症するケースも多い。

このような特性を持つHSPは決してマイノリティではない。ある統計では日本人の5人に1人にこの気質が見られるという。特に協調性を強く求める傾向にある日本社会では多く出やすいのだそうだ。

かく言う自分もまた、HSPだと最近気づいた者である。

私は幼い頃から人一倍感受性が強かった。夏の日、木漏れ日や重なり合う葉の緑の美しさにしばしば心を奪われ、家でピアノを鳴らしてはその日の機嫌を推し量ったりしていた。夏の終わり、役目を終えたミニトマトが庭から引き抜かれる様を見て涙を流したこともある。毎日が感情の起伏に左右されるため、1日の終わりには疲れきってしまう。幸い、私には理解にある家族がいたので、単に「感受性が豊かな子」として暮らして来れた。しかし大学生になって寮で暮らし始めた時、周囲と摩擦が起きた。私は生まれて初めて「他人に興味を持とう」と言われたのである。別段興味がないわけではなかったが、考え方や感じ方が違う彼らに合わせると非常に疲れてしまうため微妙に距離を置いていたことが原因であったようだ。その発言で初めて私に他者との関わり方がこのコミュニティでは通用しないことがわかった。今まではたとえコミュニティから弾かれていたとしても、家に帰れば私を受け入れてくれる家族がいた。しかしその存在が日常的に得られなくなった今、私は新たなコミュニティで自分の居場所を確保する必要に迫られたのである。結果、「変わった人」「不思議な人」という肩書きで居場所ができた。私が望んだ形ではなかったが、なんにせよ居場所が提供されたことについては感謝している。ただし、私自身はこれでも最大限彼らに合わせているつもりなのだ。

歩み寄りの代償は色んなところで起きている。元々頭痛持ちだったが、発作の頻度が明らかに増加した。頭の中に溜め込んだ感情がオーバーフローして、出口のない迷宮に閉じ込められたかのような心境になる状態も増えた。

大学を出て働き始めると、この状態はさらに悪化した。大きな組織でたくさんの人と関わる機会が増えたからであろう。特に月経前の鬱状態が酷い。まずいと思い、抗不安薬を処方してもらった。

こんな状態からあと20年近く抜け出せないのかと思うと、気が遠くなる。せめて、限界が来るまでには部署替えしてもらい、人とあまり接さなくても済むところに行くつもりである。

こうして書いていると苦しい思いばかりなのかと自分でも苦笑してしまうが、そればかりではあまりに救いがない。仕事では未だに見つけられていないが、私生活では大いに心を揺さぶられるような体験ができている。私はトレッキングが趣味でよく近郊の山に登っている。山登りをすると適度な疲労感が得られ、いつも頭の中に溜まっている様々な思考が表面化しなくて済む。そして純粋に素晴らしい景色だけを楽しむことができるのだ。だから山はやめられない。余計なことは考えず、シンプルな思考ーこれが日常にも持ち込めたらもっと楽に生きられるのに、と切に思う。朝一番から人の顔色や声音で無意識にその日の機嫌、そして自分に対する感情を察し、それが何人も続いてくたびれることから1日が始まる、そんな日々から解放されたいのだ。

山以外で日常的に使える対処法はないものか。

これからも模索し続ける。